春の陽気に満ち満ちた試験解放区。そのオフィスビル街の屋上で、ある少女が憂鬱そうに独り佇んでいた。
「ユリカモメ」という鳥のアニマルガールである彼女は、風に揺れる自身の髪を指先で触れる。その髪は、白と黒が斑模様状に入り混じった、人の髪と呼ぶには異質な見た目をしていた。元々彼女の髪は、頬に掛かる部分を除いて雪のように真っ白で美しい見た目をしているのだが、春の中頃から初夏にかけて黒く染まり、秋になるとまた白色に戻るという特徴を有している。その特徴を、黒く染まってゆく自身の姿を、はたまた夏の訪れを、ユリカモメは酷く嫌い、恐れ、憎んでいた。
そもそもユリカモメは、その白い髪を宝物のように誇っていた。根拠と言える大それた理由は無いが、冬のカントーでフレンズ化して間もなく、自らの姿を認識した頃から綺麗と感じ気に入っていたのだ。それに彼女も言うなれば一人の女の子である。周囲の人々やアニマルガールが気に入った服や装飾品で自身を着飾り、楽しそうに見せ合ってる光景を見ていると、自分もおしゃれをして、お気に入りの髪と一緒に他人から褒められたいという欲求が湧いてくるのも当然だろう。なのでユリカモメも、周囲の人々と一緒に大いにそれを楽しんだ。
そしてアニマルガールとなって以来初めての夏、彼女は自身の特徴を初めて自覚する。
白く輝く髪が突然、日に日に、まるで煤を被ったように黒く染まっていく──誇りに思っていたものが訳も分からず汚されていくような現象を前に、怖くて怖くて仕方がない。その醜い様を他人に見られたくないと感じたユリカモメは頭を隠して過ごすようになり、やがて真っ黒に染まりきる頃には、人気が無い場所でその身すら完全に隠して生活するようになった。試験解放区の高層ビルの屋上なんかは、滅多に人と遭うこともなく生活の物資にも困らない絶好な場所だった。
孤独な夏が過ぎ、秋の涼しさが垣間見えて来ると、今度は髪から黒色が抜け、元のお気に入りだった姿に戻っていく。
ユリカモメは心底安心したが、同時に、時が経って再び夏が来ればこの髪もまた黒くなるに違いないと確信もしていた。あの孤独で憂鬱な日々が確実にやってくる──その事実への恐怖に耐えられなかった彼女は、かつて憧れから始めたファッションを”コンプレックスを覆い隠し己の内に抱える恐怖を誤魔化すための手段”として用い、またそれとは裏腹な”堂々としていて可愛いキラキラした女の子”を演じるような振る舞いをするようになった。せめて夏が来るまでの間はできるだけ、あの醜い自分を忘れていたいと、ただ切に願っていたのだ。
以降の数年間、髪が白い間は自分を誤魔化し続け、髪が黒い間は他人から身を隠し続けるという実に虚しい生活を繰り返す。他人に自身のコンプレックスを悟られないようにするために人間関係も極力作ろうとせず、冬の間も周囲に笑顔を振り撒きながらも親しい関係を一切作らない、ひたすらに孤独な日々を過ごしていた。
それでも──独りで居続けることで湧いてくる寂しさには、彼女も抗うことなどできない。
ユリカモメという鳥は普通、一年を通して群れを形成して暮らす。しかしフレンズ化したことで事実上元の群れから孤立する運命となってしまった彼女は、孤独感というものに何かと敏感であった。自身のコンプレックスを隠すために自ら孤独を選択した身ではあったが、それでもできれば他者と関わって、好きなことをしたり笑いあったりしたいというのが本音だ。
だからなのか……本人にもわからないが、秋のある日、町中で独り寂しそうに佇むハクセキレイのアニマルガールを偶然見かけた時、ユリカモメは何かとても強いシンパシーのような物を感じた。周囲から距離を置く様を自己投影してしまったのか「あの子は私と同類かもしれない」「同じ境遇を持つ人と一緒にいれば安心できるかもしれない」と半ば無意識的に思ったユリカモメは、衝動に駆られるようにハクセキレイと接触し、まさに”二人ぼっち”とも言える関係を持つこととなる。
「ハセっち」と呼び名を付けた久しぶりの友人もやはり、自身と似た境遇を持つアニマルガールだった。本人から話を聞くうちに心の中で彼女に対する庇護欲めいた感覚を抱く。ユリカモメは自身のコンプレックスのことをハセっちに明かさなかったが、それでも似た者同士で傷の舐め合いをしているように思えたし、それに白髪の自分に尊敬の眼差しを向けてくれるので承認欲求も満たせる。とにかくハセっちと過ごすことで得られる安心感に浸ることで醜い自分を忘れられる気がして、彼女の存在に依存するようになっていた。
一方、そんなユリカモメの内面を知らないまま尊敬していたハセっちは、その背を追おうと新しいことに挑み、変わろうとしていた。SNSで注目されるようになり、気付けばテレビ番組に登場するほどの人気者となっていた彼女を──いつの間にか自分の元から自立して、キラキラした存在になっていた親友を見て、ユリカモメの心の中で劣等感や嫉妬心といった感情が芽生えつつあった……。
時は進み、初夏へ近付くにつれ、無情にもユリカモメの髪も黒く染まり始める。
“似た者同士”から変わってしまった親友から逃げるように、愛しい親友に対して抱いてしまった負の感情から逃げるように、いくら偽り続けても結局醜いままの自分自身から逃げるように、ユリカモメは人前から姿を眩ませた。悩みから逃げ続ける弱々しい自分の姿を、悩みから逃げずに向き合った親友に見せられなかった。
去年までの夏のように、試験解放区の高層ビルの屋上で風に揺られる。ひたすらに孤独だった前回までとは違い、一人の親友の顔や声、身体の温もりが脳裏から離れられず、身体中を巡り続ける。それもまた、どうしようもなく苦しくて堪らない。
その感覚から身を守るようにパーカーのフードを深く被り、沈み行く夕日を眺めていると、突然、馴染んだ声が背後から聞こえてきた。
「ユリ……!」
ハセっちだ。私をわざわざ探しに来てくれたのか──いや、ハセっちにこの髪を見られるわけにはいかない。急いでビルから飛び降りようとすると、ハセっちに無理やり腕を捕まれ、その勢いと風によってフードが外れ、黒く汚れた髪が露わになる。
白くない髪を初めて他人に見られてしまった。「どうして勝手にいなくなるの」と自分の胸元で泣き喚くハセっちに、ユリカモメは辿々しい声で謝りながら、事情を、隠し続けたコンプレックスのことを包み隠さず話した。ハセっちが尊敬してくれていたのは白い髪の自分で、それもまた醜い己を誤魔化すための演技に過ぎない……だからハセっちに幻滅されて嫌われてしまうと思ったのだが、その予想に反し、ハセっちは「そのことは誰にも話さないであげるから、こんなところじゃなくてあたしの家にいよう?」と提案された。
ユリカモメは驚いた。ハセっちの連絡を無視して勝手に距離を置いてしまったのに、ハセっちが憧れていたであろう自分とはかけ離れた姿を曝け出してしまったのに、こんなにも優しい言葉をかけてくれたのだから。
その優しさに甘えて、ユリカモメはしばらくの間ハセっちの住む家に居候することになった。そしてハセっちは本当にユリカモメの事情を他の誰にも喋らず、部屋に篭り続けるユリカモメの世話をしてくれる。
「だって大切な親友だもん、助けてあげるのは当然でしょ」とハセっちは言うが、その言葉が、微笑みが、ユリカモメの心にぐさりぐさりと突き刺さっていく。親友の優しさと温もりに縋ってしまっている自分自身が、惨めで惨めで仕方なかった。
自分もハセっちのように強い心を持てていれば、私もキラキラできてたのかな──膨れ上がっていく劣等感や自己嫌悪。それらが次第に増していき、耐えきれなくなったある日。ユリカモメはハセっち宅を抜け出して試験解放区の郊外にまで行くと、「この渦巻く気持ちを全部捨てて、楽になってしまいたい」と、そこにいた小さなセルリアンに自身の"輝き"を自ら奪わせるという暴挙に出た……。
こうして姿を変えたセルリアンは試験解放区の町中を荒らし回った。人やアニマルガールへ直接危害を加えることこそ少なかったが、女性向けの衣類やアクセサリーといった物品を奪い、己の身体に取り込むという奇妙な行動を繰り返すので、それらを扱う店舗などが主に被害を受けた。
最終的に、そのセルリアンがユリカモメの"輝き"を奪った個体であることを知ったハセっちと他複数人のアニマルガールの協力によって撃破され、"輝き"を差し出したことで活力を失っていたユリカモメも救助されるのだが、その過程の中でユリカモメはハセっちに想いをぶつけられる。
「あたしは……あたしに色々なことを教えてくれたユリを好きになった……髪の色なんて関係ない、あたしはユリが好きなんだ……!
あんたがいないと、あたしは何もできない、あたしだってそんなに強くない……いつだってユリはユリだから、あたしの好きな、かっこいい憧れのユリだから……だから、ありのままのユリでいて!もう二度と、勝手にあたしの前からいなくならないで……!」
──それから少しばかり時が経ち、涼しい風が肌の上を走り始めた頃。かつてない夏を経験したユリカモメの髪もすっかり白く戻りつつあったが、その表情は、自分自身を偽っていたかつてのそれと違い心の底から晴れやかな笑顔をしていた。相変わらずハセっち宅にて居候生活を送っているものの、あの騒動から心を入れ替え、変に気持ちを誤魔化そうとはせずにありのままに振る舞おうとするようになったのだ。
それに、自身の行いの所為でハセっちや街の人々を傷付けてしまったことに対する贖罪の念もあったのかもしれない。因みに諸々の被害についてはセルリアンの出現による災害という形で処理されており、事の真相はハセっちとユリカモメの二人だけの秘密となっている。だとしても同じことを繰り返すわけにはいかない……ハセっちがそうしたように、自分もコンプレックスを克服して、髪が黒くなろうと人前に堂々と立てるようになって、親友の助けに浸り続ける生活から脱却しなければならないと思っていた。
ハセっちがタレント業で出掛けている間、せっせと家事をして過ごす。その合間になんとなくテレビを点けて、あわよくばハセっちが映ってくれないものかと眺めていると、あるCMに目が止まった。
自分も何度かその名前を聞いたことがある、「ナリモン水族館」というゴコクの水族館のCMだ。その中に登場するシロイルカという動物のアニマルガールに目を奪われた。慌ててスマートフォンを取り出して検索し、その水族館のホームページにアクセスする。「ベル」という名のその人は何よりも真っ白で、綺麗で、堂々としていて──まさに、かつて自分が憧れたような出で立ちを体現していたのだ。
指先で画面を撫で、ページをめくっていく。そこで目に付いた「スタッフ募集中」というワードを見て、ひとつの考えが浮かんだ。
……この人のところに行けば、もしかしたら、自分自身を変えられるかもしれない。そしてハセっちと肩を並べられるような人になるんだ。
そうすれば当然、しばらくはハセっちと離れ離れになってしまうだろう。それでも、そうでもしないと、何も変われないと思った。これ以上ハセっちに迷惑をかけないためにも……そうユリカモメは決心した。
その夜、帰宅したハセっちに思いを伝えると、明らかに寂しい顔をされながらも「それもユリのためになるなら」と受け容れてくれた。その代わり、今までのように連絡は頻繁に行いたい、何か困ったことがあったらすぐ駆け付けるからと念押しされた。ユリカモメはそれに頷き「でもまた夏になったら、もしかしたらすぐ戻ってきちゃうかも」と冗談交じりに返すと、二人最後の夜を過ごした……。
翌朝、パークセントラルの港にて。そこまで見送りに来てくれたハセっちといくつかの言葉を交わし、ゴコク行きの船に乗る。出航を示す汽笛を聴くと、大きく手を振って別れを告げた。
潮風に煽られて靡く髪に触れながら、海鳥たちが飛び交う青空を見上げる。
──これは、彼女が生まれ変わるための、新たな渡りの物語。
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