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エピソード:ベルとノリコ #1


これはまだ、ジャパリパークが開園する前のお話──

女王事件が収束し、島中が正式オープンに向けせわしなかった頃、ゴコクエリア東岸にある大型複合施設「ナリモン水族館」もまた開館を迎えるべく着々と準備を進めていた。

各施設の建造を終え、島外からの飼育動物の搬入もある程度済ませており、あとは彼らをこの環境に慣らしつつ、他の商業施設などを充実させていく……という段階の最中だ。

ある深夜──もう明け方に近い時間帯だったが──隣のキョウシュウエリアを震源とする地震が発生したと同時に、夜空から七色に光る粒がゴコクに降り注いだ。

そのうちのひとつがナリモン水族館のシロイルカ飼育場「ベルーガシンフォニー」の窓を突き破り、若い雌の個体「ベル」に衝突──ナリモン水族館では初めてとなる、アニマルガールが誕生した。

 

翌朝、水族館中が騒然となる。サファリではその存在を多数確認しているものの、未だ不思議だらけなアニマルガールが、まさか突然、水族館の中で出現してしまうのだから──職員という職員が騒いでしまうのも無理もない。しかし、そんな中で誰よりも驚いたのが、ノリコという新人職員だった。ノリコはベルと、以前からとても仲が良かったのである。

ノリコの所属は「動物飼育部 海獣課 鯨類チーム」。水産系の大学を優秀な成績で卒業した彼女は、その才を買われて開園前のナリモン水族館に就職し、鯨類チームのうちシロイルカの飼育員を担当するに至った。

ノリコは幼い頃からクジラが好きで、クジラと仲良くなりたいという夢を持っていた。なのでこうして飼育員になれたのがとても嬉しかったし、であれば飼育員として一人前になって、クジラと仲良くなろう……そう強く誓っていた。


新人の飼育員はまず、最初は日本本土の水族館から引っ越してきた、既に人馴れしている大人の個体のお世話をしながら仕事に慣れていく……という決まりが設けられているのだが、ノリコは何故か所属早々にベル──ナリモン水族館で産まれたまだ子供の個体だ──と仲良くなってしまったため、イレギュラーながらその子の担当を任された。


なんでも、ノリコには何かしらの作業をしている間に歌を口ずさむという癖があるのだが、プールの清掃作業をしているとベルがその歌に特段興味を示し、ノリコに近付いてきたという。それを繰り返すうちに両者の距離はどんどん縮まっていき、先輩が認めてしまうほどの仲になったのだ。


地震があった日の朝も、ノリコは誰よりも早く、真っ先にシロイルカ達の様子を見に行った。どんなに弱い地震でも、繊細なクジラにとっては大きなストレスになりかねない。それに何か怪我でもしていたら大変だ──溢れそうな不安感を抑えながら、バックヤードの廊下を走る。

ベルーガシンフォニーに近付くにつれ、馴染みのある歌が聴こえてくる。既に誰かが見に行ってくれたのか──と思いながら飼育場の扉を開くと、そこに立っていたのは、白い髪と白い服を纏い……クジラのような大きな尾ビレを腰に携えた、長身の女性だった。

歌う”彼女”は、呆然と立つノリコに気が付くと、身を翻し、満面の笑顔で高らかに声を上げた。


「おかあさん!」


 

“彼女”の透き通った声が反響する。ノリコはその異様な姿に目を釘付けにされながらも、半ば無意識的に、声を振り絞った。


「…………どなたですか?」

「なに言ってるの、おかあさん。わたしだよ、”ベル”だよ!」

プールに視線を移す。そういえばいつも私がここに入るたびに泳いで来るはずの子がいない……というか、1頭足りない。

プールサイドへ視線を移す。不自然に濡れた床が、これまた仄かに濡れた「ベル」と名乗る女性に続いている。

それに、あの歌……

ジャパリパークに渡ってからそこまで月日を経ていないノリコにも、その噂は何度も彼女の耳に入っていた。

──この島では、動物が突然ヒトの女の子に姿を変える現象が起きる。

この島で働くようになって以来、一度もそれらしい人を見かけていないので半信半疑でいたのだが、こうも目の前に現れてしまっては確信するしかない。


彼女はベルだ。ベルが「アニマルガール」になったんだ。

奇妙な感覚が身体中を走り巡ってやまないが、ひとまず落ち着くためにもプールサイドに腰掛け、二人きりで話すことにした。


気付いたらおかあさんと同じになったんだ。わたしもセイチョーしたってことなんだよね?


それに聞いて、おかあさんに教えてもらった”うた”も……ほら、わたしも歌えるようになったんだ!

あわのわっかも……いつかできるようになるから、いっぱい練習したい!


それでね、おかあさん。わたしね──


思い出話に花を咲かせたり、一緒に歌を歌ったり……会話を重ねれば重ねるほど、隣で無邪気に笑う彼女は紛れもなくベル本人なんだと実感する。こうしてシロイルカと言葉をもって通じ合ってることが不思議で仕方ないが、クジラと仲良くなりたい──描き続けた夢が叶った気がして、とても嬉しかった。

それにしても、どうしてベルは私のことを「おかあさん」と呼ぶんだろう?

ふと疑問を抱き、ベルに問おうとしたものの、どこか無粋に感じてしまったので口をつぐんだ。それよりも、ここにずっと二人で居続けるのは良くない。このことを他の誰かに共有しておかないと……ノリコは鯨類チームのメンバーを呼ぶべく立ち上がり、ベルにここで待つよう言ったが、彼女はノリコから離れたくない、一緒にいたいとせがんだため、仕方なく飼育員事務所まで連れていくことにした。


鯨類チームにベルの姿を見せるや否や、その情報は瞬く間に館内中に広がり、気付けば珍しいもの見たさで集まった職員で溢れかえっていた。

興奮とともに押し寄せて来る言葉、言葉、言葉……どう説明しようかと困惑するノリコの腕を、ベルは無言できゅっと握り締める。

他の職員に呼ばれた動物飼育部リーダーによって制止され、とにかくパークセントラルの研究所に知らせようと提案されるまで、その喧騒は続いた。

間もなくして、パークセントラルから数人の研究員が招かれた。ノリコとベルに事情聴衆を行なった後、ナリモン水族館の職員達に、こう提案した。


我々はアニマルガールの実存調査と生態の研究を行なっていますが、実際に彼女らのお世話を請け負い、人間との友好関係へと繋いでくれているのは「特殊動物飼育員」と呼ばれるスタッフです。

ただ、そのポジションが設けられてからまだ日が浅く、人員も極めて少ない。ましてや、最近になってようやく陸上動物のアニマルガール……その内のごく一部の子達の健康管理の手法が徐々に確立されてきてる段階で、海獣のアニマルガールについてのノウハウは無に等しく、何よりも適した設備が無い。


なので、大変恐縮ではあるんですが、特殊動物飼育員の人員がある程度確保されるまでの間、ナリモン水族館の飼育員の皆様にベルさんのお世話を一任させていただけないでしょうか?

幸い、ここなら設備も知識も充実していますし……ベルさんはノリコさんをとても慕っているようですしね。その方が彼女にとっても幸せなはずです。


パークの後学のため、アニマルガールの幸福のためにも、どうかご協力をお願いします。


幾らかの協議を重ねた後、ナリモン水族館の飼育員達はこの提案に合意した。

肝心なノリコはというと、研究員と飼育員、そしてベルに挟まれながら、新人という立場よろしく流されるがままになっていた。気付けば「ノリコがベルの臨時担当特殊動物飼育員として共に生活し、本来の業務の傍らでベルの教育を行う」というとんでもない役割を任されてしまったのだが、ベルともっと仲良くなれるのなら甘んじて請けようと、自身の袖を摘むベルの安堵の表情を見て、覚悟を決める。

かくして、水族館飼育員のノリコとアニマルガールのベルによる、前例のない共同生活が始ろうとしていた。


 

研究員を見送り、ベルをベルーガシンフォニーのバックヤードプールに連れ帰った後、ノリコは事務所へ戻り、先輩飼育員にベルが自身のことを「おかあさん」と呼ぶことについて相談を持ちかけた。

「うーん、でもベルの母親って……」

「何か心当たりがあるんですか?」

「あれ、君には言ってなかったっけ。確か──」

先輩飼育員は棚から一冊のファイルを取り出し、ページをめくった。

曰く、ベルの母親は既に亡くなっている。

ジャパリパークと島内の各施設の建設が進み、プレオープンを経て、しかし様々なアクシデントが発生し……元々長期的に予定されていたパークの準備期間がさらに延びる一方で、ナリモン水族館では一頭のシロイルカが産まれ、母親によって育てられた。

飼育員達によって「ベル」と名付けられたその子は順調に成長。いよいよ乳離れが迫ってきたという時──母親は急性的な病気を患い、死亡した。


その後、飼育員達はなんとかベルを母親無きプール生活に馴染めさせなければならなかった。そんな中でノリコが鯨類チームにやってくると、ベルは彼女にあっさりと懐いてしまった。他の鯨類チームのメンバーは「ベルに友達ができてよかった」と心底安心したそうだが、ベルがアニマルガールとなり、ノリコのことを「おかあさん」と呼び始めたことを聞いて、先輩飼育員は眉をひそめる。

「ほら、ノリコさんってベルのこといっぱい手を尽くしてくれたじゃん。だから……いや、もしかしたらの話だよ?君の愛情を受けたベルは君にお母さんと似た何かを感じて──しかも、ああやって君と同じ身体になったことで、君のことをお母さんと思い込んじゃったとか。鳥類の刷り込みってわけじゃないんだけどさ……いきなり”おかあさん”って呼ぶくらいだし、そういうのもあり得なくはないかなって」


ごめん、やっぱ考えすぎかも。と先輩飼育員は言い添える。それにノリコは一礼で返すと、俯いた。


もしその憶測が近かったら、本当にベルが私のことを母親と勘違いしているとしたら……真実を話して、その誤解を解いてあげるべきなんだろうか?

確かに私はこれからベルの保護者とも言える立場になる。第二の家族も同然な関係になるかもしれない。それでも、亡くなった本来のお母さんのことを忘れたまま、別の人を……シロイルカではなく人間である私を母親と思い込み続けるというのも、とても哀しいと思う。

どうしてあげるのが、ベルにとって一番幸せなんだろう──


このことを、ノリコは深く深く悩み続けることになる。


つづく

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